しかしか日記 2016~2017

 昭和5✖年 青森の母校放送部 放送テーマ曲「エーゲ海の真珠」
よろしかったら聴きながらご笑読ください



★2017年9月19日(火曜日)晴れ(東京地方)

  先日、台風18号が日本列島を通過しました。私の住んでいる関東は台風一過で今日も快晴に近い状態でした。今日もいいことがありました。それは、また、無事に帰宅できたということです。日本社会では当たり前と思っていてもいいことではあるのですが。今一度。周りを見て、右見て左見て行動をすることも大切かと思います。


★2017年6月11日(日曜日)薄曇り(東京地方)

 今日は4ヶ月ぶりに北辰一刀流玄武館の稽古に行ってきました。朝9:30から2時間びっちり稽古に励みました。やはり4ヶ月も休んでいると身体が重く動きませんでした。昨年より、急に役職が増えたためいつもの稽古の参加ができなくなりました。そこで新年度からは曜日を変えてのスタートにようやくなりました。さすが若い方たちはその間にどんどん上達されて、瞬く間に有段者になり、かつ、それ以上に昇段されていました。今日の稽古でも30代前後の方たちの稽古ぶりはさすがでした、私は息を切らしながら付いてくのがやっとでしたが、また稽古を重ねていけば必ず追いつくと思ってこれからも続けます。それにしても終わった後の稽古をした気持ちの爽やかさは本当に素晴らしいと感じました。私は自分の人生は長くても短くても太く生きていこうと思ってます。後悔しない毎日を心がけて明日も活動に励みます。


★2017年3月16日(木曜日)晴れ(寒い日 東京地方)

 東村山地方はここ連日晴れの日が続いていますが、寒い日が続いています。いよいよ平成28年度が終わります。そして新年度29年、早いですね。新年度は言わずと知れた大きな区切りです。また、新しい世界を追求するのもよし、今までと同じ事をより大切にしてそれをしっかり続けるのもよし。人には考え方でいろんな過ごし方を見いだせることは言うまでもありません。先日、後輩のあるとても有名な歌手に会うことができました。彼は、昔から決して人の事を悪く批判したりしたことはありません。それは、その人、その人が一生懸命に生きる権利を持って生活しているからです。だからこそ彼もまたここまで活躍されていることは言うまでもありません。ちょっとした愚痴とは違います。すこしユーモアな場合もありますから。そう感じながら今日も私も息させて頂いてます。


★2017年3月2日(木曜日)雨 (寒い日 東京地方)

 東村山地方は昨日から雨です、寒いのですが、雨が降るようになったということは、春近しと判断しても良いかと思います。最近、車の運転が以前よりも随分と慎重になりました、この頃、車の運転マナーがよくないと感じます。一番は方向器点滅が遅いです。急に曲がったりひどいのは点けないでまわります。また、携帯電話しながらのろのろなど、非常識が多い気がします。免許を取った30年前はドライバーは今よりずっとマナーがよかったです。私も運転が怖いと思う時があります。常に事故しないようにと思います。この頃、随分と疲れやすくなりましが、体重が増えてしまったので、痩せることをかなんがえてます。


★2017年2月7日(火曜日)晴れのち曇り (強風が吹き荒れました寒い日 東京地方)

 東村山地方の天気は晴れましたが、とても風が強かったです。というよりは砂嵐でした。畑の土が舞い上がり、外を歩いている人はモロに砂をかぶった方もたくさんいたことでしょう。曇りで本の少しですが雨が降りました。今の自分がいるのはどうしてと問う人も多いかと思います。他人と協調して自分の存在を確かめていくか、他人と不協調で自分を確かめて行くかは言うまでもなくその人の人生価値観です。ベートーヴェン第九のシラーの詩では、強調できない者は、泣いてこの場を去りなさいと言っています。しかし、今の世の中、中々協調には程遠くなっているのは否めません。しかしながら、良識な人がいるので、きっといつかは皆がお互いを尊敬しあい喧嘩のない世界を作ろうと立ち上がると思っております。


★2017年2月6日(月曜日)晴れのち曇り (比較的暖かい日 東京地方)

 東村山地方の天気は晴のち曇りで本の少しですが雨が降りました。世界の中の日本、いよいよ今年は手腕が発揮される年になることでしょう。世界で一番安全で平和な国家の復活、名誉挽回すること、その事を世界の手本になることがこれからの日本のあるべき姿であることは言うまでもありません、政権を批判していくことは簡単です、なぜならはその政策と反対の意見を述べればいいのですから。芯にはそれに勝る案を出すことが当然の一番の説得することであることでしょう。


★2017年2月4日(土曜日)晴れ(比較的暖かい日 東京地方)

 東村山地方の天気は晴れでした。特別でもありませんが穏やかで温かい気がしました。今日も午前様の帰宅になりましたここに来てちょっと夕方以降のいわゆる普通の時間がほしいなあと思ってしまいました。結局のところ、夕方からの用事もあり自由がなかなかきかないのが現状です。しかしながら、全てにやりがいがありとても楽しくも身の引き締まった生活をさせて頂いてます。


★2017年2月2日(木曜日)晴れ(寒い 東京地方)

 東村山地方の天気は晴れでした。最低4度、最高9度。冬が戻ってきました。特に今日も変わらず、変わらない事はいい事といつも感じています。人は「性善説」「性悪説」と2つの考え方がありますが、皆さんは、どちらを選びますか。私はあえて「性悪説」を選びます。そこから始まって、わがままから教育されてどこまで善に近づくかと思ったほうが失望感がないと思います。熟睡の毎日は変わりありません。いつのもたくさんの事でもないことはありました。今日も富士山に神様に感謝の毎日です。


★2017年1月31日(火曜日)晴れ(一転寒い 東京地方)

 東村山地方の天気は晴れでした。しかし昨日の19.5度とは一転 気温は4度位。冬が戻ってきました。熟睡の毎日は変わりありません。今日も特に変化のあった日ではありませんでした。今日もたくさんの事でもないことはありました。富士山に神様に感謝の毎日です。私の神様はどこにいるかと言いますと心の中にいると信じてます。皆さんの心の中にも神様はいらっしゃることと思います。


★2017年1月29日(日曜日)晴れ(温かい日 東京地方)

 東村山地方の天気は晴れでした。気温は14度位。相変わらず熟睡の毎日です。特に変化のあった日ではありませんでした。毎日、事故がなく無事に自分も周りも過ごせるようにお祈りしてます。どこにお祈りしているかと言いますと、時々、移動していると見られる富士山にです。こうして富士山を仰ぎことができる喜びをかみしめています。ここ何年も日本や世界は毎日、事故や悲しいニュースばかりが報道されてます。富士山にいろいろ話をしている毎日です。


★2017年1月19日(木曜日)晴れ(東京地方)

 東村山地方の天気は晴れでした。気温は9度位。やはり昨晩もぐっすり熟睡することができました。眠れることが一番なのですが、最近は起きても眠いというのには困ったものです。明日はいよいよトランプさんが第45代目アメリカ合衆国大統領に就任しますが、今年は大きく世の中が動くことでしょう。どこの国も人も皆、皆仲良くやっていくのが一番ですね。


★2017年(平成29年)1月3日(火曜日)晴れ(東京地方)

 東村山地方の天気は雲一つない快晴。気温は9度位。昨晩もぐっすり熟睡することができました。眠れることが一番の私の健康である秘訣と思います。昨年は素敵な言葉を知ることができました。川端康成の「有由有縁」⇒「人との出会いは偶然はなく、必然である」とてもいい言葉です。そして鎌倉幕府を作った坂東武士の「名こそおしけれ」である。言葉は活力にもなる。今年も嵐も来るだろう、しかし、生きていれば穏やかさに会うことだろう。どんなことがあろうと幸せを信じて生るのみである。もう一つ、ある牧師先生が「神様は乗り越えられねい試練は与えられない」と教えてくれました。たくさんの人に元気をいただき今年も生き延びる事を目標です。自分が幸せであるためには私以上に皆さんが幸せと思っていただくことが大切です。そのために邪魔にならないように応援させて頂ければと思います。


★2017年(平成29年)1月2日(月曜日)晴れ(東京地方)

 今日も東村山地方は穏やかでした。初夢は覚えておりません、夢は見ていたのは記憶にあるのですが残念です。正月の多摩地区を歩いていても、ここが近代都市東京のイメージとはほど多いのどかな畑などの風景があります。富士山や、お星様、月などがとても澄んで美しく見えました。ワンちゃんの散歩、ジョギング、普通の散歩、家族連れ、いろいろ昼間は快晴、本当に平和な国だと思います。この穏やかな周りがいつまでも続くようにとお祈りしてます。


★2017年(平成29年)1月1日(日曜日)晴れ(東京地方)

  元旦の東村山地方は、快晴で素晴らしい朝を迎えました。朝に近くの神社に初詣に行きました。人はそこそこの賑わいで出店が出ていました。今年は安全祈願と感謝の意を伝えました。おみくじを引きましたが、いいのが出た割には、厳しいことがいっぱい書いてありました。要するに浮かれて生活してはいけないということです。睡眠は十分にとっているはずなのですが、どうも、母の話だといびきがすごく部屋を揺るがしているくらい大音量とのこと、熟睡しているようでしていないのが現状のようです。


★10月23日(日曜日)晴れのち曇り(東京地方)

  今日は1年に一度の地元東大和市文化祭の音楽部門 東大和音楽祭でした。東大和市は小さな市なので合唱だけの演奏会はなく、器楽も含めた音楽会で27団体が自慢の演奏をしました。


★10月13日(木曜日)くもり(東京地方)

 前回の日記から、早、一ヶ月以上になりました。なんて月日が経つのが速いのでしょう。鈍行列車で行きたいのに、リニア新幹線のような感じです。今日は東京都の谷中にあります、明治・大正・昭和の近代彫刻を発展させた平櫛田中先生の旧邸宅で、料理研究家の磯部さんのお招きで「一三夜のお月見の会~お月見と独唱の夕べ」に参加させていただきました。6名の方にご来場を賜り、美味しい月見団子に舌鼓を打っておられました。私はアカペラで「荒城の月」「サンタ・ルチア」などを歌わせていただき楽しいひと時を過ごすことができました。歌の終了後は皆さんと歓談させて頂きながら私も美味しい磯部さんのお団子をいただきました。ただ、今日は雨は降りませんでしたが、あいにくの曇り空で十三夜の月は拝むことができませんでした。また、来年お目にかかれればと願っております。戦前からのこの建物は関東大震災にも、そして上野にありながら東京大空襲でも焼けませんでした。平櫛先生が108歳の生涯のうち98歳までここで暮らしておられた館で、私の歌を聴いていただき感謝です。帰りはJR東京駅に周り中央線の通勤快速で帰ってきましたが、電車を3本やり過ごして座って帰ってきました、9時すぎの時間帯はまさしくスーパーラッシュに近いのですが、始発で座れたのでとてもよかったです。新宿からはもパンパンの混みようでした、立っている人たちに申し訳がない感じなのでできるだけ「たぬき寝入り」しました。


★9月6日(火曜日)晴れ(東京地方今日も残暑日)

 しかお式ラマダン今日で10日目になりました。何と4キロ近く減量になりました。目標はあと20日間頑張ります。私は何を隠そう、逆流性食道炎と診断されてもう8年目になります。20代の時に胃潰瘍をしてから、胃薬とは切っても切れない中です。中学・高校の同級生だったT君が高校の時、「太田胃散」を愛用していた、何でも味が好きで、美味しいとまで言っていました。あの粉末の胃薬のどこが美味しいのかと思い、一緒に飲んだ事があるのだが、その時の我が家は「キャベジン」であった、それも錠剤だった。東京に来てからも「キャベジン」を愛用していたのだが、いつの間にかT君に感化されて今は「太田胃散」を常備薬で持っています。逆流性食道炎の錠剤を飲むととても食欲が出てしまうので、食べ過ぎないようにしないと大変なことになります。そのT君は案の定、理系の大学に進学して薬品会社に勤めています。やはり、薬が好きだった理由もわかります。彼は今、子育ても終わって幸せな家庭生活を北海道で過ごしています。今日はその薬を処方してもらうためにいつもの病院へ行き、主治医と言っていいのでしょうか、もう25年以上の先生に診察してもらって薬を1ヶ月分もらってきました。それにしても一生薬とお付き合いしなければならないのは情けないなあと思います。

 

昨日に多くなコンサートが無事に終わりました、しかし、休むまもなく今度はオペラ公演稽古です。プッチーニ「ジャンニ・スキッキ」です。私の出番はわずかですがそれでもいなければならない大事な役です。オペラはやるたびにやっぱり自分はオペラのために訓練された人間だと思います。身体が勝手に演技してしまいます。9月はボランティアの演奏会だけでも4つ入っています。休むまもなく活動してます。明日も音高は朝一なのでそろそろ休みます。薬のおかげで今日は酸っぱい胃液が上がって来ないと思います。よほど丈夫な胃だと感じてます。


★9月4日(日曜日)晴れ(東京地方今日残暑日)

  今日も残暑の厳しい日になりました。睡眠時間は昨夜はたっぷり7時間は寝ているのですが、どうも、暑いせいもあり眠りが浅いのか、いつも、ちょっと苦しい状態で目が覚めます。といってもそんなに大げさなことではありません。朝起きると声がガラガラな上に空咳が出てしまいます。起きてしばらくすると何事もなかったような普通の状態になるのですが、どうも、イマイチの睡眠、2日前にヴォイスレコーダーを起きるまでの約6時間を録音したら、案の定これはひどいいびきをかいていました。まるで「ゴジラ」の叫びような大音響です。単に口を全開にして口だけの浅い呼吸が原因でしょう。これでは宜しくないので秘密兵器の「ネルネル」を買ってきました。これは口に貼る絆創膏なのですが、これを貼って寝ると少なくても口が閉じるのでずっと鼻呼吸になるので、朝がすっきりします。合宿などで、皆で大部屋で眠るときにご迷惑がかからないように、いつも携帯してます。明日はいよいよ青島先生と本番をしますが、多分声は大丈夫そうなので心配はしておりません。私の最大の特技は横になって1分35秒で眠ることができるので今日は熟睡が保証されるでしょう。後はお寝坊さんをしないようにすること、これから明日の準備をします。


★9月1日(木曜日)晴れ(東京地方今日も台風一過で暑い日)

 台風10号の被害が特に岩手県が大きいとニュースでやっています。まだ約1100名の方が孤立していて、あっというまに家ごと流されて行方不明の人もいる様子です。今回の台風も勢力が強く危険なことが前から伝えれているのにも関わらず、たくさんの人的な被害が出てしまうのがとても切なく感じます。自分の町で、それも一番の安らぎの家で災害に会うことがいかに悲劇かと伝わってきます。先週は南三陸町に行ってきました。教訓は、危険があるのだから第一に逃げること、避難すること、家に戻らないことが鉄則であると話していた通りのことがまた繰り返されているのが残念です。怪我をされている方、亡くなられた方、そして行方がわからない方が無事であり一刻も早くの安否ができるように祈ることしかできません。

 さて、今日は朝イチから姉の代わりに病院へ行って検査結果の詳細を聞きにいきました。私たちの年代になると、祖父母はもとより両親の介護がより現実に行われてきていることを実感してます。家庭によって多種多様な介護をされています。私のところは父が64歳で他界してしまったので父の介護はありませんが、これから母の介護で覚悟をしています。今のところまだ自由にあちらこちら飛び廻って余生を楽しんでますが、物忘れなどちょっと暗い影が立ち込めてきました。通常の物忘れとはタイプが違うのです。本人自身がそのような自分にショックを受けることが多々あります。やはり本人のことなでフォローするにもできません。これからは母の行動をよく見守って行かねばと覚悟してます。母もさる事ながら、今、私の心配事は姉にあります。まだ、健康体に回復できるという期待があったのですが、今日の検査結果の説明で身体の全回復は0に近いという結果でした。あとは症状を遅らせて行くだけとの話でした。もちろん、急に命が危ないとかそのような危険な事態ではありませんが、いつかはかならず身体が動かなくなる日が来ます。それが3年なのか10年なのか30年なのかは、本人の生きたいとう気持ちと努力によるものであることが一番大事なので、どのように普段から会話から考えようにするかが課題になります。生きている間は7、終わりのないリハビリなど、今からスタートした事も多くて、手探り状態です。そしているうちに気づいたら私が倒れてしまっては元も子もないので、自分の健康をも考えての生き方によりなることでしょう。正直、親は育ててくれた感謝の気持ちで動いているところが大きのですが、兄弟の姉となると同世代もあり、自分が死ぬまで長い介護生活になるのが決定的、しかし、私にも限界があるので何といってもひとりで悩まないためにも専門家の方たちとお話をしながら生きていくことになります。でも、母も姉も厄介者にしては行けません。それは根本に関わる事、生きていれば会話ができるしいいこともいっぱい出てくるので。一日も長く1分でも長く母とも姉とも話す機会を持とうと考えてます。介護が苦しいもではなく楽しいものになるようにと意識を持っていくようにしてます。でも、聞くと多難であることに変わりありませんが、家族のために苦労することはむしろ幸せなことと思いながら生活をするように努めます。私の場合、祖父母も父も居なくなってしまってとても寂しいです。なので母や姉をより大切にして母ができるだけ痴呆になる時間を遅らせる。姉とは電話だけも一週間のうちに一度はする、病院へは私が連れて行く事を原則にしてできることをしてきたいと思ってます。両親介護などの話を聞くと、私のところなんて全然大丈夫な方、これがいつまでも続かないのは目に見えてきているので心の覚悟も感じながら毎日を送っています。皆様にさらなるご多幸をお祈り申し上げます。



<東北自動車道 岩手県滝沢付近 前方には岩手富士と言われている「岩手山」が見えます。


★8月29日(月曜日)くもりのち雨(東京地方今日も蒸し暑い日 台風10号接近)

 台風10号が関東・北日本に接近中です。なかなか抜けていかない台風は珍しいのですが、いよいよ明日には動きがあるようです。今日の午前中にひとつ大きな予定があったのですが、天気は崩れてはいるものの無事に終わりました。眠い眠い症候群は未だに続いていますが、午後に3時間ほど昼寝をしたところ大分眠気も緩和されました。何度も書いてしつこいのですが、眠気だけはどうしても対抗できません。いよいよ木曜日から音高の授業がはじまりますので、体調を整える次第です。しかしながら眠気がしつこい割には、朝の目覚めは早く早々に5時には目が覚めて結構そのままずっと起きているので学校が始まっても寝坊はないと思ってます。今、北辰一刀流玄武館の門下生でイスラム教の方がいます。それで、最近はイスラム教に気持ちですが関心を持つようになりました。いくつか理解してきているのですが、その中でラマダン(断食月)があります。なんでもイスラム教徒の方たちはこのラマダンが来るのを心待ちにしているとのことです。ラマダン自体の意味はとても奥が深いのは言うまでもありませんが、太陽が出ている間は、水もとってはいけないとの事、しかし、夜には食事ができるのですが、この手法を自分の生活に応用して取りれる事ができれば、自分はダイエットを成功させることができる気がしています。ラマダンをショクダン(食断)という言葉に応用して一日1食にして、これを一ヶ月、昼間の食事を省き、夜だけ取るか、または、昼だけにするかと考えています。昼だけにすると、家で作って食べる事が少なくなるので、夜にして20時までに食べるというようにすれば比較的安定したものになるかと感じてます。音高がまた始まり、生活リズムも落ち着くので9月はショクダンを実行する予定です。しかしながら、頑固にするとストレスや栄養バランスが崩れるので、1~2日間隔で実行しようかと思っています。
 さてまた台風うの話ですが、小さい時に台風は今よりずっと怖いものと思っていました。台風は大きな目がありそこから強大なエネルギーで大きな雨や風を起こして建物を壊して行く怪物というイメージです。もちろん現実にもその驚異さは言うまでもありません。これも小さいな時、台風が来て一瞬晴れるときがあるのですが、その時は台風の中心が真上にいる時、そしてその時に台風の目が見ることができると聞いて、窓の中から外を見て台風の目を探しました。自分の中では今も昔も変わらない心の中の台風の目がいつも見ている気がしています。明日のスケジュールが予定通り行くように祈ってます。なぜならば、仮に予定が中止になってもかならずそれのしわ寄せがくるので、かえって大変になるからです。

 


<小さい時の台風のイメージ絵です>


★8月27日(土曜日)雨(東京地方今日も蒸し暑い日でした)

  なぜ、体調があまりよくないかをいくつか考えて見ました。ひとつの結論は、暑さのあまり、眠るときに布団をかけないで寝るので、朝方になるとめっぽう身体が冷えてしまっていることも影響ありと感じました。それで、暑いのが大の苦手なのですが、朝方、寒さで起きた時に布団を巻いて身体を温めて眠ったら、起きた時には比較的頭もスッキリしていました。人が眠るには体温を下げなければなりませんが、そのために冷やし過ぎで体調を壊すのでしょう。私は少し湿疹体質なところがあります。今は大丈夫なのですが、お肉類など食べ過ぎると少し体に出てきます。なので努めて野菜を食べなければなりません。小学生までは実はお肉なるものが嫌いで食べることができませんでした。ずっと魚がメイン、それもいわし、さば、ホッケ、鮭、イカ、カレイなどが主流でした、しかし、ウィンナーやソーセージは大丈夫でした。幼稚園の時は、肉を食べると吐いてしまいました。しかし、一番辛かったのが、学校の給食です。なぜならばかならずと言っていいほど肉が入っていました。なので、おかずから全部肉をとってチリ紙(今でいうティシュ)に包んで後からトイレにもって行って捨てていました(昔は汲み取り式トイレ)。給食で一番の楽しみはサラダの時、特にマカロニサラダは大好物でした。
時が経ち、小学校6年生になって、肉が食べられないのはよくないと思うようになりました。あるとき、メニューがやきそばの時に、思い切って肉と一緒に食べましたそうしたら食べられるようになりました。それからというものお肉も普通に美味しいと思うようになり食べることができています。
もともと少しアトピーをもっていたのですが現在はほぼ完治しています。昔からきのこ類がとても好きで、身体が欲してました。東京に来てから自炊するようになり毎日えのき、まいたけ、しいたけなど食べてしました。今にしてみると湿疹体質にはいいと聞きます。また、合唱団の方がドクダミブレンド茶も体にいいということで頂き、後も薬局からドクダミ茶を買って3年連続で毎日のみました、すると。治癒能力が高まったのか、湿疹がみるみる小さくなって普通の皮膚になりました。お酒は嫌いではありませんが、飲まなければ何ヶ月でも大丈夫です。しかし、一度飲むと中ジョッキであれば5杯程度、ワインは1本、日本酒は6合以上は飲みます。しかし、かならずと言っていいほど二日酔いになるので、皆さんのお付き合いのみで、かつ、今は制限して飲みます。先月、家の最寄駅の近くに焼き鳥屋飲み屋さんがあるのですが、私はお酒は飲まないで、烏龍茶で焼き鳥を食べます。カウンター席で7人しか入らないのですがここの焼き鳥が結構好きなので月に1回は行きますが、店の常連客の人たちはとても不思議がります。なんでもビールを飲むために焼き鳥を食べるのが普通でしょとユーモアたっぷりに言われますが、ある人は「ほんとにここの焼き鳥が食べたいのですね。」と何故か喜んでくれます。店の人も「焼き鳥だけ食べに来てくれる客さんは今までいなかったよ。皆テイクアウトしていきまから。」と珍しそうに、喜んでくれます。何はともあれ健康であることが一番ですが、私はここ数ヶ月食べ物が全て美味しすぎて食べ過ぎで体重が増えてしまいました。それも体調が崩れている原因かと思います。元気な時間で少しでも生きるためには本気で減量の時期かと思ってます。

  なぜ、体調があまりよくないかをいくつか考えて見ました。ひとつの結論は、暑さのあまり、眠るときに布団をかけないで寝るので、朝方になるとめっぽう身体が冷えてしまっていることも影響ありと感じました。それで、暑いのが大の苦手なのですが、朝方、寒さで起きた時に布団を巻いて身体を温めて眠ったら、起きた時には比較的頭もスッキリしていました。人が眠るには体温を下げなければなりませんが、そのために冷やし過ぎで体調を壊すのでしょう。私は少し湿疹体質なところがあります。今は大丈夫なのですが、お肉類など食べ過ぎると少し体に出てきます。なので努めて野菜を食べなければなりません。小学生までは実はお肉なるものが嫌いで食べることができませんでした。ずっと魚がメイン、それもいわし、さば、ホッケ、鮭、イカ、カレイなどが主流でした、しかし、ウィンナーやソーセージは大丈夫でした。幼稚園の時は、肉を食べると吐いてしまいました。しかし、一番辛かったのが、学校の給食です。なぜならばかならずと言っていいほど肉が入っていました。なので、おかずから全部肉をとってチリ紙(今でいうティシュ)に包んで後からトイレにもって行って捨てていました(昔は汲み取り式トイレ)。給食で一番の楽しみはサラダの時、特にマカロニサラダは大好物でした。
時が経ち、小学校6年生になって、肉が食べられないのはよくないと思うようになりました。あるとき、メニューがやきそばの時に、思い切って肉と一緒に食べましたそうしたら食べられるようになりました。それからというものお肉も普通に美味しいと思うようになり食べることができています。
もともと少しアトピーをもっていたのですが現在はほぼ完治しています。昔からきのこ類がとても好きで、身体が欲してました。東京に来てから自炊するようになり毎日えのき、まいたけ、しいたけなど食べてしました。今にしてみると湿疹体質にはいいと聞きます。また、合唱団の方がドクダミブレンド茶も体にいいということで頂き、後も薬局からドクダミ茶を買って3年連続で毎日のみました、すると。治癒能力が高まったのか、湿疹がみるみる小さくなって普通の皮膚になりました。お酒は嫌いではありませんが、飲まなければ何ヶ月でも大丈夫です。しかし、一度飲むと中ジョッキであれば5杯程度、ワインは1本、日本酒は6合以上は飲みます。しかし、かならずと言っていいほど二日酔いになるので、皆さんのお付き合いのみで、かつ、今は制限して飲みます。先月、家の最寄駅の近くに焼き鳥屋飲み屋さんがあるのですが、私はお酒は飲まないで、烏龍茶で焼き鳥を食べます。カウンター席で7人しか入らないのですがここの焼き鳥が結構好きなので月に1回は行きますが、店の常連客の人たちはとても不思議がります。なんでもビールを飲むために焼き鳥を食べるのが普通でしょとユーモアたっぷりに言われますが、ある人は「ほんとにここの焼き鳥が食べたいのですね。」と何故か喜んでくれます。店の人も「焼き鳥だけ食べに来てくれる客さんは今までいなかったよ。皆テイクアウトしていきまから。」と珍しそうに、喜んでくれます。何はともあれ健康であることが一番ですが、私はここ数ヶ月食べ物が全て美味しすぎて食べ過ぎで体重が増えてしまいました。それも体調が崩れている原因かと思います。元気な時間で少しでも生きるためには本気で減量の時期かと思ってます。


★8月26日(金曜日)晴れ(東京地方今日も蒸し暑い日でした)

 この暑さなのか、それとも違うのかはわからないのですが。身体の調子がイマイチです。というのは一番に眠いということです。そして声もしわがれ声、がさがさです。水分は十分に取っているのですが、とにかくがらがら、でも、声帯を痛めているわけではありません。睡眠時間は5~7時間は熟睡しています。3000キロの旅の前からなので、旅行が原因でもありません。先月の健康診断ではそんなにひどい結果ではなく、例年とほとんど代わりありません、しかし、こうも眠いのは絶対に何か原因があるがあるはずでしょう。まあ、勝手にああだこうだするのであれば、病院へ行って見るのが一番なので来週相談に行くことにします。
 今日は4つの用事がありました。朝は9時半までに都心へ用事があったので、7時に起床、8時に出発、その後、東大和音楽連盟の書類を書いて市役所の所轄課に持っていき担当者と話をし、次に 
私のアマチュアバリトン歌手の方に、私の家の近くにある老人ホームでボランティアリサイタルをしていただきました。無報酬で演奏会司会のボランティア、大成功でした。その後、夜は別件でまたボランティアでの活動、大分、今日も飛び回りました。
明日も用事が3つあり、夜も遅くなります。よくもまあ、こんなに予定を入れるものだと自分でも呆れますが、知り合いの手帳を見せて頂いたら私のスケジュールなんぞ取るに足りない「への河童」もっとすごい人がいました。上には上があると言いますが、凄まじいと感じます。
現代人はあまりにもたくさんのしなければならないことが多くあると感じているのは私だけではないでしょう。
 眠気だけはどうしようもなりません。最近、運転すると普通の生活で走っている程度でも、「あれ、このままもし眠ってしまったら大事故だ。」と想像しながら運転することが多くなりました。特にバイクはバンパーがないのでもろ怪我をする率が高いわけです。気力をしっかり保つようにと思う今日この頃です。加齢のせいにはしたくありません。それでも今日一日とても充実した日を過ごすことができました。多くの皆様に感謝です。皆様におかれましてもどうぞご注意をしてお怪我をされませんように残暑をお過ごし下さい。今日はひ弱な気持ちの日記を書きました。明日も頑張ります。



「写真は今日の東大和市市役所職員の対応はとても素晴らしいです」


★8月24日(水曜日)くもり(東京地方)

 先週は、おかげさまでとても充実した時間を過ごした反面、自分の車での移動距離が3100キロを越える東奔西走のために、身体がかなり動かない感じになってます。何時間眠っても寝足りません、布団に入ると一分と持たないで熟睡状態です。もちろん、今の私は、公で多くの活躍されている方々とは違い、スケジュールというものは自分が作ったいわゆる自作自演なのです。世間様から見れば、勝手に何かをしているだけでしょうの一言で終わってしまうレベルです。

 

私はいわゆる独り者の一匹狼のような存在なので、ただ、黙っていては誰も相手にしてくれないのです。だから、自分で生きる活力を得るためにこちらから皆様のご迷惑をかって出ているだけなのです。

 

しかしながら、私の周りの社会は温かく感じさせていただいています。後、残された自分の時間というのもはわかりませんが限られていることは誰もが平等にそうです。自分が生きた証として、せめていろんなところに出没して、自分の個人情報だなんで、知り合いの方であればお教えさせて頂いてますし、バンバン写真に写るようにしてます。それがこの地球に生きた自分という証が少しでも残すことをしているのでしょう。それは究極のエゴから来ているものと考えもします。しかし、私みたいな人間でも生きる権利をいただけるはずですから。自分が一歩前にでないと、全てが自分の前で素通りして行きます。私自身はそれが耐えることができません、ただ、それだけなのです。人間は好きか嫌いかで判断して生きています。嫌いでも好きにしようとまずは試みることが第一歩でもあることは言わずと知れたことでしょう。

 

前にも書きましたが、自分の人生劇場をハッピーエンドで終わるか悲劇で終わるかは自分次第です。日本という平和ボケのしかし素晴らしい社会に生まれて育たった自分ができることは何かです。私は音楽という宝物を両親からいただきました。これが剣術の北辰一刀流玄武館に繋がったのですから、すごいものです。日本昔ばなしで「わらしべ長者」というお話がありますが、藁一本から最後は長者になる話です。私は有名にもなりたくないし、超お金持ちにもなりたくありません。なぜならば、時には社会が全部自分の敵になるのではないかという怖さもあるからです、つまり、いい意味では謙虚な気持ち、悪い言葉で表現すると臆病なのですね。しかし、有名になりたくてなった人も、超お金持ちになった人はたくさんいます。それは勇気と知恵があるからなのです。素晴らしい方たちだと私も思います。
 

自分のしたいことで素直に生きる、眠いと思ったときにはすぐに眠ることができる環境を維持することです。漫画家の松本零士の代表作「銀河鉄道999」の単行本は実は全巻持っているマニアなのですが、いろんな星に主人公の星野哲郎が旅した星の中に「自分以外皆バカ」の星があります。権力、名声を全てを手に入れたのは良かったのですが、おごり高ぶり、周りの人間は全部自分より劣っている、ついには全ての人間を殺してしまって、そしてロボットまでも壊して誰ひとり助けてくれる人がいない、気持ちは満足、しかし、誰もいないだんだん痩せて死を待つのみ。究極の星でした。いろいろ思い出します。世の中は自分から出ていかないと誰も相手にしてくれませんよね。そんなに遠くない将来、私も自分から動けなくなり目の前の社会が素通りしているのを見ているだけになります。これは人間の運命、その時は私はまた若返って「心の中にある自分の愛機0戦」に乗って、宇宙を飛びいろんなところへ着陸して回ります。愛機0戦の燃料は飛びたいと言う気持ちです。だから燃料切れはありません。それまでは、私が身体が動くうちに、今の地球上で散るところを探し求めて「前進、前進、また前進!」です。


★8月13日(土曜日)晴れ(東京地方今日も暑い日)

 今日は真夏日でしたが、夕方は少し涼しくなりました。昨日の夜は10日ぶりで「北辰一刀流玄武館」の稽古に参加しました。やはり、道場はとても私にとってもいい場所、入口を入ると気持ちがすぅーっと軽くなり、元気になります。道場は神聖なところでもあります。行く度に、私より後から入ってきた門下生が、どんどん上手くなって行くのが伺えます。ここに来る門下生の表情はいつもいい顔、みなぎる、そしてはち切れんばかりのパワーに満ちています。ひとえに宗家先生のお人柄と指導力の賜物であることは言うまでもありません。K師範、T師範両先生はじめ、皆勤に近い女性剣士のKさんとUさん。久しぶお会いしたEさん、今日は私の身体のメンテナンスを月一でしていただいている、Fさんも参加してます。

道場にはエアコンがなく扇風機のみ、今日は比較的涼しく稽古がしやすかった気がします。

さて、私は明日から今月の一番の強行軍スケジュールが始まります。とても楽しみにしているのですが、とにかく、怪我や事故だけは十分に注意して無事に任務を全うすることを第一に行動します。多分、総行軍走行距離は3000キロなる見込みです。わが愛車「スーパーコンチネンタルキャデラックゴールデンスペシャルノント号」での作戦遂行、今日燃料を満タンにして明日の出撃に備えてます。
しかし、明日の出撃の前には、午前中は9月5日コンサートの合わせ練習、午後はミニコンサートのボランティアソロ本番の2つの大きな任務があり、東京を19時に出発、高速道路に乗り翌朝3:30に現地に到着予定です。

現地についてから少し睡眠をとり、支度が出来次第1スケジュールのメイン任務を遂行する予定です。やはり「前進、前進、また 前進!」です、しかし、とてもとても楽しみです。


★8月11日(木曜日)晴れ(東京地方今日も暑い日)

  

 連日の猛暑、それにつけてか家に帰るとすぐに眠気が襲い、机に座って何か作業を始めた瞬間に眠くなって眠ってしまいます。皆さんのフェイスブックを読ませて頂くと、結構な方たちも私と同様に眠気との戦いの方も少なくないようです。暑さが体力を消耗させていることも否めないでしょう。先日、生まれて初めての川釣りにケイシュウさんに連れて行って頂きました。ニジマスやあゆ、ヤマメと魚を釣ることができました。釣り道具は全て用意していただき、それに加えてバーベキューもさせて頂きました。ケイシュウさんは、釣りのプロ中のプロ、海釣り川釣りなんでもです。私と同年なのですが、都立保谷高校合唱部部長でもありました、昭和53年(1978年)あの時代NHK合唱音楽コンクール課題曲「ひとつの朝」「冬風蓮湖」「走る海」を同時に歌っていたので、とても共通話題が多く、同じ学校の合唱部員だったような気持ちなりました。

 

さて、このような自然界の真ん中で仕事にまったく関係なくレジャーを楽しんだのは久しぶりでした。滝のすぐ下を予約していただいので、35度の暑い日でしたが、驚く程涼しくむしろ寒いくらいでした、しかし、寒いのが私はいいので思いっきり体を冷やしました。椅子の上で1時間以上もすやすや眠ることができました。自然の力はすごいです。この日は全部で57匹釣り上げました。内私は12匹程度だと思います。餌がイクラだったのでびっくり、本当に釣れるのかと思っていたら、本当に釣れるんですね。楽しかったです。
ありがとうございます!



★8月10日(水曜日)晴れのち夜雨(東京地方今日も暑い日)

  

 今から日記をと思いましたが、やはり今日も眠気にはかないません。休んで明日更新させて頂きます。とにかく一日があっという間に過ぎ去ります。


★8月5日(金曜日)晴れ(東京地方35℃とても暑い日)

  

 今日も猛暑です、熱中症に注意といいますが、そういえば私が中学、高校の時は熱射病になると言っていました。いつの間にこの言葉が入れ替えしたのかなあと思います。人生まだまだとはいえ50年以上生きてきました。確か昭和20年終戦の年の日本人の平均寿命は50歳でした。戦争があったのが一番の原因です。小さな時に夏の夜宮のお祭りがると近くの諏訪神社にお参りに行きましたが、出店がいっぱい、今夜店を歩くと、たこ焼き、わたあめ、バナナチョコ、など店が目白押しのように目に入ります。あの時代もいっぱい出ていたのは覚えていますが、あまり食べ物店が何があったか記憶がありません。小さい時は、何と言っても金魚すくい、おもちゃ、射撃ゲームは覚えてます。食べ物といえばわたあめ、べっ甲あめくらいです。きっと食べ物にあまり興味がなかったのでしょう。

 

話は戻りますが、その時に一際怖い存在がありました。それは旧陸軍の軍帽をかぶり、白衣を来て片足が義足の人が、アコーディオンを弾き施しを乞うていました。小さい私はその人が理解できずに、妖怪か幽霊に見えてその人の前を通ることができませんでした。、その人に連れていかれるかもしれないと怖がっていました。お参りはおじいちゃんとおばあちゃんで行ったので、しっかりおじいちゃんの服を引っ張って影に隠れて素通りしました。今では差別用語になるのですが、その人を「乞食」と世間は呼んでいました。今思うに、私はその人がどのような曲を弾いいていたのか、また、その人が何故義足になったのか聞きたいと思います。子供心に乞食になると足がなくなったりするんだと思いました。

 

宵宮の最終日は灯篭流し、堤川にたくさんの灯篭が流されました。その風景はとてもとても言葉では言い尽くせない、幻想の世界、灯篭は海に向かってゆらゆらゆっくり流れていきました。おじいちゃんが「亡くなった人たちが極楽へ帰って行くんだよ。」と話してくれました。今日の東京も連日の真夏日、今の時代はエアコンがあり室内は快適、真夏なのに身体が冷えすぎるくらいです。

71年前の平均寿命50歳から今は80歳以上、すごい社会になりました。

 


★8月4日(木曜日)晴れ(暑い日)

 

 ここ一週間とっても東奔西走中です。忙しい事はいいと言いますが、スケジュールを時間単位で組んでいるはずが、最後には分刻みになってしまって、時間に振り回されている日々です。よく、どうしても一度家に帰宅しなければならないのですが、家での滞在時間5分などと当たり前、これだったら次の目的地へ直通の方が効率がいいとその度に思います。

「ところがどっこい、そうは問屋が卸さない」。皆さんのお話を聞くと実は私だなんて序の口のぺーぺー、多くの方たちが私よりももっと上手を行ってます。同期生の友人は、ぎりぎり開始3分前に到着、実は、彼は時間を正確にそして一分たりとも無駄にしたくないとの行動です。

私たちは時間を生きていますが、その時間、どこにいるか、どの方たちと共有しているかです。貴重な時間は自分だけでなく相手もそうであるということを忘れては行けません。以前、ある人に「今までの時間はなんだったんだ、時間を返してください!」と言われた事がありました。それは自分も返したく言葉なのですが、水かけ論になるので私は受け止めるだけにしました。しかし、私はもし時間を返してくれと自分が思っても、これも運命の流れだから決して無駄な事は何一つないと思うようになりました。仮に、電車1本乗り過ごした、とか、信号が間に合わなかったとかでも、これは自分が勝手に判断していることだと言うこと。捉え方では、これのおかげで何かを得たといつも感じて、それでは、何がよかったかと考えて見つける楽しみにを感じています。

ある方が「忙」しい、とは漢字で「心を亡くする」といいます。そう教えて頂いた時、ふと、冷静になるように努めます。朝起きた時、夕日を見ることが出来きない人がたくさんいる中で、今日一日を無事に過ごせる社会に感謝してます。

 

それにしても、本当に丸一日のんびり過ごしたいと思っているのは私だけでは無いと思います。でも、そう思う自分がいることは、まだ、健康なんだなあと思います。青森県は全国一の短命県です。それはとても残念な事ですので、汚名返上の努力はしなければと思うのですが、実は反面別のデーターがあります。それは「健康寿命年齢」というのがあります。それは、何歳まで元気で生きていたかという統計ですが、これになると青森県は28位まで上昇します。

変な話ですが、例として病気で寝たきりの期間が長くて長生きとは違うということです。私はこれが大事かと思います。年齢はその人の宿命であって、若くてもまさかで亡くなる方がいます。人間は寿命は決まっていると解釈するならば、人生の期間は一日でも長く元気で生きるのが大切と思いました。青森の私の恩師や叔父を例にとっても、叔父は正月で前日まで親戚の皆と楽しくお酒を飲み、踊り、笑っていました。その日の朝、洗面所で倒れてそのまま天国へ、また、恩師の先生は大好きな麻雀をしている最中に急にその場で倒れて天国へ行かれました。いろんな捉え方がありますが、最後まで好きなことができたことは、すばらしいと思いました。叔母が「これからは、私たちが居なくなっても悲しまないでね、自然な事だから。」と話していただいてます。しかし、反面、若い歳で亡くなった方たちを思うととても胸が締めつけられます。

何はともあれ、その日を無事に過ごすことが大切であることをは言うまでもありません。自分を大切にしていくこと、元気年齢を高めて行く事でしょう、そのことを多くの方から学ばせて頂いてます。


★8月3日(水曜日)曇りのち時々ゲリラ雨(暑い日)

 

 実家より帰って早2日目が過ぎました、、、、、、。すみません日記を書こうかと思いましたが、ちょっと睡魔が襲ってきましたので、明日に更新させて頂きます。いつもご観覧に感謝です。まずはおやすみなさいませ。


★7月26日(火曜日)曇りのち雨(東京地方)涼しい日

 

 朝は曇っていましたが、昼から小雨に変わりました。今日もこちらは涼しい日です。今は母と二人着らしなのですが、ほんの数年前までは、冬期間だけ東京で一緒に暮らしていました。春になると青森へ帰って行ったのですがここ2年ばかりで状況が大きく変わりました。母が帰りたくないとなりました。一緒に生活するようになり、その意味もわかってきました。やはりもうすぐで80歳を迎えるのですが、一人での生活では、いろいろ問題ができてきました。3年ほど前に、雪道で転倒して救急車で運ばれたとの事を聞いてびっくり、昔から我が家は各自の責任で生きているので、お互いに何があるのかさっぱりわからない家族でした。

父が生きていた時、よく電話をして安否を確認していたのですが、父はいつも「順調だ、こっちは大丈夫だ!」としか言いませんでした。ところが実は大した事態でした。父は肺が肺気腫になったのですが、それよりももっと悪いことに食道がんになっていたのでした。

以前、東京の私のところに遊びにきた時に60歳おめでとうを兼ねて買ったばかりのビデオカメラで還暦の抱負を話してもらった記録があります。それでは60歳になった抱負を聞くと「後5年生きれれば万々歳だ!」と言っていました。この時は何とも思っていなかったのですが実は父は自分がガンだということをかくしていました。

 

父は元気だと思っていました、なぜならば私たちの前では体の不調らしき事を一言も話していなかったからです。ただ「パパは、気力だけは人には負けない。」とよく言っていました。もう体の中はボロボロであったのでしょう。日本酒が大好きでした。2日で1升飲んでも全然表情にでません。タバコも吸っていました。今思うにタバコをやめるように勧めたのですが、この時はかなり体がきつくてタバコ屋、お酒で痛みを緩和させていたのだと思います。そして、、、父は自分の予告通りに、私たちには全く想像していなかった突然の死が来たのでした。65歳の年でした。

 

そのことで、私はものすごい後悔の念が今もあり眠れない事もありました。危険信号を出していたのにわからなかった自分が申し分けなくてたまりませんでした。せめて母には一日でも長く生きてもらいたいと思うようにようやくなりました。しかし、30年も離れて暮らすと、30年間の空白は結構ありました。高校生の時と同じ気持ちで母親はどうしても感じてしまうので、母の言うこと言うことがカチンカチンと来ました。30年も勝手に自由に生きてきてここに来て、息子の世話になりに来た、今更と思ったのですが、やっぱり、今更ではなくてこれからが真剣考えなければならないと自覚しました。

 

父が生きていた時は、私はとても楽しかったです。母とは口喧嘩多かったのですが、まだ健在でいることは感謝、感謝と思うようになりました。今では口喧嘩もほとんどなくなりました。母も、精神的に安定してきたのだと思います。母はクリスチャンなので気持ちはもう神様に向いていることはよく理解してます。

 

先日、母が「知り合いの方が、一緒に第九歌いましょうと誘われて、今日、車で迎えに来るんだけど、ついて行ってきます。」「第九の楽譜貸して頂戴。」「で、どこの第九?」「全くわかりません。」と言ってしばらくして車が来て乗って行きました。夜に帰ると「やっぱり第九っていいね、歌ってすっきりしたよ。」と蔓延の笑顔に喜びを湛えてました。まあ、こちらも嬉しいくなりました、しかし頭を介護はこれから始まるのだとよぎりました。それでも一日でも長くボケないで元気に長生きさせるようにしなければと感じています。母に「ところで、どこの第九だった?」「なんか車で1時間位、揺れて連れて行かれて山のところにある練習場に入ったら、みんな知らない人ばかりで何が何だかわからなくで歌ったら、周りの人からいい声だって褒められたよ。」「だから、どこの第九だった?」「あれっ?わからないなあ、会費8000円出してOKだったよ。」でした。まあ、遅かれ早かれチラシができればわかるか。という感じです。会話が成り立っているようで成り立っていないこの頃です。どこの第九かの今の手がかりは、私の知らない知り合いがいて、車で1時間くらいの範囲で、地形は山の上に練習会場があって会費が8000円というので推測するに、多摩市方面と想像しています。もしそうだった確かに母には未開拓地です。(写真は今年1月の実家付近です。家は雪没していました。)

 


★7月25日(月曜日)曇り(東京地方)涼しい日

 

 昨日、杉並区民オペラ「メリー ウイドー」を観賞しました。あまりの素晴しいステージに感激して帰ってきました。区民の方たちが合唱で載られて、ソリストは現在活躍している著名歌手、杉並公会堂大ホールは満員でした。柴田さんの指揮で区民オーケストラ、演出は三浦さん、企画している大久保真先生は、大学の先輩です。日本人演奏家によるオペラはやはり日本人だからこそ表現できる素晴らしい作品に仕上がると感じました。杉並区民オペラは大久保先生がご自分で日本語に歌詞を翻訳させての公演です。帰りに男声合唱団コンパシオーネの小林さんと一緒に隣のイタリア料理屋さんでパスタを食べながらその面白さを語りました。

午前中は10時から9月5日演奏会の合わせを約2時間10分して、我がバイク愛車「スーパーフェイト1号」で移動、午後からは「メリーウイドー」そして夜は打ち合わせ会合で帰宅が午前2時でした。朝はすこし遅くまで休むことができました。お昼からはピアノの調律を音高門下生だった、Sさんにお願いしてます。夏休み入ったのに、いろいろ目白おし。先週の土曜日夜は私が初の男声合唱団コンパシオーネの納涼会、新宿区四ッ谷で美味しいビールを頂きました。コンパシには8月下旬に宮城県南三陸町の仮設住宅で支援コンサートをお願いしているのでその話でも盛り上がりました。後、数回の練習で本番なので気持ちも入ります。

 

また、私の企画で東村山市にある「万寿園」という老人ホームで以前指揮をしていた男声合唱団エルデの元団員の「踊場松雄氏」さんにボランティアをお願いして「踊場松雄バリトンリサイタル」をお願いしました。踊場さんは、以前ご自分のリサイタルを開かれた経験があるのですが、とてもアカデミックでどなたが聴いても納得できる素敵なステージを聴かせていただけると思いお願いしました。もちろん僭越ですが、私が責任あるのでチェック、監修させていただくためにレッスン(レッスン料は頂いてませんし万寿園も無報酬でやらせて頂いてます)をさせて頂いてます。無報酬なのでこちらが好きなように出来るというのがとてもありがたいです。楽しみです。

 

ということで結局は休みがない毎日を過ごしております。ここのところ東京地方は涼しい日が続いているので過ごしやすです。何と言っても窓を開けていればエアコンをつけなくてもいいのですから。

 

私の今住んでいる家は築50年になるので、大家さんが自由に使っていいと言われているので助かりますが、実家のグランドピアノ使っていないのでこちらにもって来たかったのですが、大家さんは床の関係で補強するしないにかかわらずそれだけは勘弁してくださいと言われたので持ってこれませんが、このピアノは音大時代に亡くなった父の弟の叔父さんに合格祝いで買って頂きましたもう50年近いピアノヤマハのU3です。音高の自分のお弟子さんに調律してもらえるなんて本当に嬉しいです。ピアノが喜んでいます。

 

来月、おかあさんコーラス大会の全国大会が青森であるのですが、Sさんも全国大会に参加すると聞いたので、さっそく青森のブラックボックスホールある私の父のグランドピアノの調律をもお願いしました。ピアノが喜んでいるのがわかります。

 


★7月22日(金曜日)雨のち曇り(東京地方)涼しい日

 

 「爽やかってなんだろう?」と考えた時に、その日が天気や気温がいかに良くても、自分自身が感じなければ爽やかとは言えません。しかしながら、そのような自分の心理でも、例えば、外の空気を吸って自分を爽やかにしようとする事は大切であると思います。それには心身ともに健康になることを意識することが重要なポイントだとつくづく思います。家にひとりでいると、ちょっと寂しいななあと思う反面、外をそれなりに忙しく活動しているとひとりでゆっくり休みたいと思います。誠に勝手な自分がここにいます。仕事を生きがいにして人生楽しむのか、趣味などの生活を生きがいにして人生楽しむか、もちろん両方もあり。よくよく考えると選択枠はいっぱいあります。それも決めるのは言わずと知れた自分自身です。それに気づく自分であって欲しいと思います。

話は変わりますが、先日、インターネットの記事で「音大生の底力」というタイトルで武蔵野音楽大学が例の事が載っていました。いわゆる大企業の就職先の話で、企業の就職担当の方が音大出身者はとても企業にとって素晴らしい力になっているというものです。ここのところ武蔵野音大では難関の大企業から求人があり採用されるとの事、昔から「音大出身で就職できるの?」「食べていけないのでは?」など世間様から厳しく指摘される事が多い中、とても嬉しい記事でした。企業側からは、まず、音大出身は日頃から自分の専攻を怠るとどんどん遅れてくるので、一般大学生よりも勉強しているように受け止めること、自分が演奏会にでるので社会的マナーができている事、音楽、芸術のセンスがとても良い発想を出すこと、レッスンは個人でひとりの専攻の先生がいるので、日頃からいろいろ先生に相談したり先生からのアドヴァイスをもらえるのでいろんな場面で対応できる能力があることなどなど、上げればキリがないとのことでした。

もちろん、一般大学の学生達は、より優秀な学生がたくさんいることは、百も承知ですが、私がここにあげた一例記事ですが、音大生=趣味の延長とか、就職が無いなどという考えを少しでも緩和できなかという意味で上げました。そうでないと音楽大学の存在価値が無くてもいい大学と評価されるのは心もとないからです。高校、大学にはそれぞれ専門があるのですから、自分の本当にしたいことを、自分が伸ばして行く人生、それは言うまでもなく自分でしかできないことだと自覚しなければなりません。

 

(写真は北海道大沼公園の夕日2014年夏に撮影しました)


★7月21日(木曜日)雨のち曇り時々雨(東京地方)

 学校は夏休み入り授業がお休みになったのだが、かえって夏休み期間の方が忙しくなっている。期間中は28年来お世話にっている障害者施設「ゆきわりそう」の歌のボランティアに行っている。また9月にはここの「不戦讃歌」で第九もあり「ゆきわりそう」は慌ただしくなっている。以前、ニューヨークカーネギーで第九ソロをさせて頂いたり、八丈島で第九の指揮をさせて頂いたり、そして今、姉と姪がここで生活させて頂いている感謝の気持ちで全くの手弁当でのボランティアである。障害を持った人たちは、いつも変わるこなくエネルギッシュである。会話は同じことを話すのだがとてもしっかりと私の話を聞いてくれる人もいる。他に、私の住んでいる町内会の老人ホームでのボランティアである。

 

8月に私がやっていた男声合唱団のOBのバリトンの方にここでリサイタルをお願いした。これもボランティアなのでお金を頂かないでのレッスン。9月の敬老の会は北辰一刀流撃剣会を招待して演舞をお願いしていてそれの打ち合わせ。などなど自分の時間はほとんどない状態なのだがとても楽しい。家に帰ると大体はノックダウンである。実は事務的な事が超山積みで結構期限をむかえてヤバイ状態である。かえって音高の授業をしている方が規則正しくて時間もお金もかからなくていいと思う。もちろん学校の大変さ課題もあるが、講師なのでそこは常勤に比べるとありがたいと感じている。一日が28時間あるといいなあと思う。3時間はプラス3時間の睡眠時間である。他の老人ホームでの私のボランティアテノールミニコンサートの依頼が2件、来月は宮城県に被災地でのボランティア演奏会である。お話を頂ける事はとても幸せな事なのでいつもの顔、初めての顔沢山の方たちに会えて本当に幸せを感じている。

 

私の最大の短所は、とにかく眠らないと体調がすぐに崩れてしまう。これは声にも影響するので体調管理は必至である。この夏も無事で越せるように体調管理して人様に迷惑をできるだけかけないように乗り越えなければならない。やはり、健康あっての活動である。

 

 

★7月20日(水曜日)曇りのち晴れ(東京地方)

 

 私の愛車バイク「スーパーフェイト1号」は今年で15年目になります。100ccなので一般道路を通常の車と同じスピードで走ることができます。ただし、高速道路は確か125cc以上なので乗ることができません。15年も経つとかなりポンコツ化しています。時々、疲れたようにボッと息を吹いてエンジンが停止しかかる時もあります。最高潮の時は半径40キロ圏内までは使っていたのですが、現在は半径15キロ圏内を軸としてます。この間にタイヤ交換4回、エンジン入院3回、ブレーキ大破1回、大きな負傷は雨の日にスリップして左肩の骨に軽くヒビが入りまして完全に痛みが取れるのに約10ヶ月かかった事もありました。

 

それでも「スーパーフェイト1号」は勇猛果敢に私を乗せて快適に走ってくれます。関東圏は電車で動く事が主流なのですが、交通費というのが馬鹿になりません。移動するのに最低でも往復1000円前後、高いところは往復2000円前後かかります。電車・バスだけで移動している月平均で軽く3~4万円もかかります。そこでまた魅力的なのが我が愛車「スーパーフェイト1号」渋滞はほぼ関係なく、電車のように遠回りをしなくてすみます。おまけに片道30キロ圏内(西東京方面の私の家から、都心の新宿超えて上野・皇居・東京駅)までカヴァーされ往復で450円のガソリン代です。スーパーフェイト1号の大敵は雨です。こればかりは仕方がありません。

 

梅雨時は空を仰いで使える日だけは雨が降らないように祈ってます。また、夕立もあるのでその時間帯での移動を避けます。一昔、東京の交通マナーは比較的よかったのですが、最近はひどい運転が目立つようになりました。まだ、強引な割り込みはほとんどないのですが、急な方向指示器ウインカーの点滅や、曲がるのにウインカーをつけないで走る車が多くなりました。あまり頭にきて2車線道路の時には、顔を拝見するのですが、老若男女幅広い層に見受けられます。またシニアの方は気づかないで車が飛び出してきますね。いつも危険と隣り合わせを感じます。皆様もどうぞお出かけの時はお気を付けください。

 

 

★7月19日(火曜日)

 

先日 東京都合唱祭の講評員をさせて頂きました。今年の合唱祭は5日間で約350団体の出演がありました。私はそのうちの3ブロック約20団体を聴かせて頂きました。毎回思うのですが本当の本当に感動します。出演時間7分を大いにいっぱいに活用されて次から次と素晴らしいハーモニーとパフォーマンス、涙あり、感動あり、驚き有り合唱仲間の共通した歌い喜びがいっぱいに溢れる演奏会でした。たかが合唱、されど合唱、社会は人の心で動いていることには変わりありません。歌を歌っていると優しい気持ちが引き出しから出てきます。歌い終わった合唱団の笑顔、笑顔、笑顔。本当に幸せのひと時でした。